season1 前編:なぜ、ハーブと米の酒が渋谷の植物園から生まれたのか?-始まりは「目指せ、渋谷の特産品」
2024年春、渋谷区ふれあい植物センターに、ほんのりグリーンがかった珍しいお酒が届きました。一見、ポルトガルのヴィーニョ・ヴェルデ(緑のワイン)を思わせるようなお酒の名は、「稲とアガベと渋谷の植物園」。原料は米、米麹、そして、ふれあい植物センターの外構部で、いつも来園者を出迎えるハーブです。5月にはこのお酒を手がけた醸造家の方を迎えてお披露目会も開かれました。なぜ、植物園の植物をもとにお酒を造ったのか。その意図とお披露目までの経緯をお届けします。
text by Naoko Asai
「……!? こんなお酒初めて飲んだ…!」
「爽やかなハーブの香りがする」
「柑橘系の味がしておいしい!」
ひと口飲んだ人たちはみな、未体験のおいしさにパッと目を見開き、思わず感想をもらしてしまう。そんな驚きのお酒が、2024年5月、渋谷区ふれあい植物センターで生まれました。ハーブや柑橘の味わいは、ゼラニウムやオレガノ、レモングラスなど植物園で採集した14種類の植物のエキスがお酒の副原料に含まれているためです。
もともと、植物園のハーブ類は来園者の喉を潤すハーブウォーターの材料として使われたり、「農と食の発信拠点」として生まれ変わった植物園を体感できるワークショップで活用されたりしています。2024年には、毎月第2と第4土曜日に「Saturday Farm」というハーブの世話をするコミュニティも立ち上がりましたが、園長は2023年の秋頃から、「このハーブを使って、何か今までと違ったものをつくれないだろうか…」と考えていました。
「植物園の植栽のなかでも暮らしへの汎用度が高いハーブだからこそ、何かひとひねりあるものを生み出して、ゆくゆくは“渋谷名物”を」と意気込む園長には、食の一大消費地・渋谷において、希少な「農地」である植物園だからこそ、渋谷生まれの特産品が作れる可能性があるのではないだろうか…という思いがありました。
そこで浮かんだのが「クラフトサケ」という新しいジャンルのお酒でした。「クラフトサケ? クラフトビールは聞いたことがあるけれど、クラフトサケは初めて聞いた」という方も多いかもしれません。2022年に設立され、現在全国各地9つのクラフトサケ醸造所が加盟する「クラフトサケブリュワリー協会」では、「クラフトサケとは日本酒(清酒)の製造技術をベースとして、お米を原料としながら従来の『日本酒』では法的に採用できないプロセスを取り入れた、新しいジャンルのお酒」と定義しています。日本酒は米と米麹と水で醸造したものを指しますが、クラフトサケは醸造時に、ハーブやフルーツなど様々な副原料を加えて造るため、個性的な味わいのお酒が生まれ注目を集めています。 クラフトサケなら、副原料として植物園のハーブやその他の植物を活用でき、「渋谷のお酒」として世に出すことができる。こうして、「クラフトサケブリュワリー協会」の会長であり、秋田県・男鹿市の「稲とアガベ醸造所」を設立した醸造家の岡住修兵さんに酒造りをお願いすることになりました。
岡住修兵(おかずみ・しゅうへい)
稲とアガベ株式会社代表。1988年、福岡県生まれ。神戸大学経営学部卒。秋田県の蔵元で日本酒造りを学んだ後、2021年、秋田県男鹿市にて「稲とアガベ醸造所」を設立。「米を磨かず技術を磨く」をモットーに、秋田の自然栽培米を原料に、新しいジャンルの酒を「クラフトサケ」として提唱し、2022年、日本各地の醸造家たちと、業界団体「クラフトサケブリュワリー協会」を立ち上げ、初代会長を務める。
「渋谷らしさ」をお酒で表現するってどういうこと?
「僕にとって酒はメディアなんです」という岡住さんは、少子高齢化が進んだ男鹿の地を活性化すべく、醸造所の徒歩20分圏内に食品加工所やラーメン店を始めるなど、酒造りを通して、多角的な視点と情報を発信し続ける次世代の革命家でもあります。
「ちょうど、他の地域とコラボレーションして酒を造るプロジェクトを立ち上げたところで、コラボした酒が地域と男鹿をつなぐきっかけになるよう進めています。過疎の最先端ともいえる男鹿と、スクランブル交差点に象徴されるような人混みと若者の街である渋谷がつながるなんて、両極端な組合せでめちゃくちゃ面白いと思います」(岡住さん)
「渋谷と地域のつながりは今後深めていきたいと思っていました。また、渋谷の酒を造ることは、“渋谷らしさ”について改めて考えることになると思います。今、岡住さんが話したように、大混雑するスクランブル交差点は多様性の象徴とも言えますよね。いろいろなハーブを入れることで渋谷らしさを表現できるかもしれないですし」(園長)
二人はお互いに、今回のコラボレーションについて意気投合し、
・渋谷らしさをお酒で表現するキーワードは「多様性」
・コラボするお酒は「渋谷酒(しぶやしゅ)」と呼ぶ
・ハーブ採集は有志を募集し、酒造りと植物の密接な関係を理解してもらう
ことを初回の打合せで決めたのでした。
ハーブを採集しながらその場で味を設計
初めての打合せから約2週間後の11月初旬。さっそく、「醸造家・岡住修兵さんといっしょにハーブ採集。 みんなで“渋谷酒(しぶやしゅ)”を造ろう!キックオフイベント」と題したイベントを開催しました。定員15名のイベントは、募集開始後早々に満員御礼。当日、岡住さんといっしょにハーブに詳しい副園長も加わります。
「これはできる限りたくさん、このハーブは少な目でいいです」とその場で、ハーブの香りをかいだり、少し口に含んだりしながら、出来上がりの味わいをイメージし、採集するハーブを迷いなくディレクションする岡住さん。参加者たちも、普段なかなか直接話す機会のない岡住さんとの時間を楽しみながら、代わる代わるはさみを手に摘んでいきます。小1時間ほど集めたものの、お酒の仕込みに使用するにはもっと多くの量が必要とのこと。さらには、「ハーブに限らず、植物園の植物をできるだけたくさん入れて、植物園らしさを出したい」という岡住さんの熱意に応えるべく、その後、植物園のスタッフが採集時期を何度かに分けて採集し、男鹿に送りました。そして、年明けのある日、いよいよ醸造を開始しますという一報が…! 一体、仕込みに使用されたハーブはどんなものだったのか、そのハーブがどのようにお酒になるのか、後編に続きます!